桐杏学園や学習指導会。かつて開成中学・武蔵中学の合格者No.1を誇っていた中学受験塾ですが、両塾とも現在は消滅しました。TAPもSAPIXに取って代わられ消えていきました。「中野C1」をトップにしたピラミッドを築いていた四谷大塚は大きくシステムを変え、日能研も生徒数は大きく減少しました。40年以上の歴史を持つ早稲田アカデミーが「大手」に数えられるようになったのは21世紀に入ってからです。
「部屋」があれば誰でも起業できる塾の勢力図は、ときに大きく変わります。いま現在の合格実績だけに目を向けるのではなく、数年後、子供が希望する学校に「合格する塾」を選ぶことが大切です。
変わる塾の勢力図
2021年2月、矢野耕平さんの『令和の中学受験 保護者のための参考書』が発売され、中学受験生をお持ちの多くの方の間で話題になっています。
この中に、次のような一節があります。
塾というの実にお手軽に起業できる業種です。だって、「講師」がいて「部屋」があり「机や椅子」があって「黒板やホワイトボード」があれば、すぐに立ち上げることができますから。さらに、塾講師には免許すらありません。誰だってすぐに塾を起業できるのです。
まさにその言葉のとおり、塾業界は群雄割拠。特に小規模塾は見定めが非常に難しいのですが、大手塾が安泰かと言うとそういうわけでもありません。
かつて御三家の合格実績No1.を誇りながら、今は姿を消した塾もあるのです。
開成といえば桐杏学園 〜工場を教室に
1973年、1人の男性が、息子の開成中学受験失敗を機に、西日暮里の開成中学のすぐそばの工場を「教室」に変えて、自ら受験指導するために作ったのが、桐杏(とうきょう)学園です。その行動力はすさまじいものですが、「部屋」と「講師」があればあとは「机や椅子」と「黒板やホワイトボード」を用意するだけというのをまさに実践しています。
桐杏学園は、かつては四谷大塚、日能研と並んで難関校受験では誰もが知る存在でした。
開成中学合格者は毎年100名超、開成日本一の合格実績を誇っていました。
2月1日の入試の日には、鉢巻を巻いて気合を入れる出陣式が行われ、NHKのニュースにもなる中学受験戦争の象徴的存在でした。また、志賀高原での夏合宿などワイドショーに取り上げられるようなイベントでも一躍名を馳せました。
しかし、1990年代半ば以降、給料に不満を持つ優良な講師が流出し、合格率が低下。2006年には学研の傘下に入ったのち、市進に譲渡されて現在は幼児教育部門のみが運営されています。
武蔵は学習指導会 〜母校の合格実績でNo.1
開成が桐杏学園なら、武蔵中学受験では学習指導会(のちの「しどう会」)が有名でしたが、こちらも消滅しています。
1975年に武蔵高校から東京大学に進んだ高橋隆介氏が設立した塾で、高橋氏の母校である武蔵中には毎年70人程度の合格実績を誇っていました。
高橋氏の「ウマ」をはじめ講師をあだ名で呼んだり、問題が解けたり宿題を提出したりすると「はんこ」がもらえる制度(今のサピックス・シールのようなもの)をとりいれた特徴的な塾でした。クラス分けも野球のように「1軍」「2軍」と、厳しさの中にも遊び心を感じさせる制度を取り入れていました。
関東一円や関西にも教室を展開していましたが、JASDAQ上場後に高橋氏が経営から退き、急速に勢いを失って21世紀初頭に消滅しました。
ちなみに高橋氏は、引退後は「銀座夏野」という箸展や画廊を経営するなど、実業家としての活動を続けています。
一方でしどう会の講師たちは、その後親しい教師同士で小規模な塾を立ち上げるなどしていますが、難関校受験の世界ではあまり目立った活躍は見られていません。
SAPIXの起源TAP 〜毎回される薄手のテキストは印刷会社ゆえん
塾の起業は「部屋」だけでなく「テキスト」も重要な要素です。
多くの塾は、既存のテキストを使用しますが、印刷会社が作った塾では、オリジナルテキストに力を入れました。
「入試で燃え尽きない頭脳の育成」というキャッチコピーで印刷関連会社が始めたのがTAP(タップ)進学教室です。
SAPIXの薄手のオリジナルテキストが毎回配られるスタイルは、TAPに由来しています(実際は、市販の教材を切り貼りして「非売品」として配るなどしていたのですが…)。
桐杏学園や学習指導会のように、特定の学校に特化していたわけではなく、広く御三家をはじめ難関校に幅広く合格実績を出していきましたが、1989年、経営陣と対立した主要講師が移籍してSAPIXを設立。実質的にSAPIXに取って代わられました。
その後も、一定の合格実績は維持していましたが、エスエス製薬の傘下に入ったあと、1997年には栄光ゼミナールが出資します。栄光ゼミナールとしては難関校対策を強化したい狙いがありましたが、すでに弱体化したTAPは実績の低迷が続き、TAPのブランド名は2004年に消滅しました。
消えゆく塾の一方、変化を続けて生き残る塾も
以上の有名塾の消滅はごく一例にすぎません。
埼玉を中心に有名だった「山田義塾」など、多くの塾が、内部分裂や内部対立などに端を発して消滅しています。
遡れば、今の受験生の「おじいちゃん」「おばあちゃん」世代では、日進(日本進学教室)の日曜テストを受験するのがメジャーでしたが、その後、その役目は四谷大塚にとってかわります。
その四谷大塚もかつては「正会員」と「準会員」にわかれ、都内の日曜テストの会場は、成績順に中野→お茶の水→渋谷というように振り分けられ「中野C1」クラスは全ての中学受験生のトップに君臨する孤高の存在でしたが、会員制度も廃止され、「お父さん」「お母さん」世代の四谷大塚といまの四谷大塚は「予習シリーズ」という教材こそ続くものの、形態はまったく異なるものになっています。
一方で、「4大大手塾」にカウントされる早稲田アカデミーは、その起源は1975年と、サピックスよりも15年近く長い歴史を持つ塾ですが、「大手」と呼ばれる存在になったのは21世紀に入ってからです。
学習指導会が創設者の高橋氏の引退後、あっという間に勢力を失っていった一方、早稲田アカデミーでは、創設者の須野田誠氏の死去後も成長を続けているのです。
また、2000年代には、SAPIXが代々木ゼミナールの傘下に入り、SAPIXの創設者たちが退くと、2010年代にはGnobleという塾を立ち上げて、SAPIXと瓜二つのカリキュラムで合格実績を伸ばしています。
誰でも興せる業界なだけに、参入障壁が少なく、入れ替わりも頻繁に起こるのが塾業界です。
勢力図変遷の中で進む「システム化」
一斉を風靡した数多くの塾が消滅していった一方、いま現在残る大手塾は、それぞれ「システム」を強固にしています。「スパイラル(らせん式)」のカリキュラムは中学受験界では当たり前のものになり、サピックスではテキストの分量が増え続け、塾に必要な学習は余すことなく学習できるシステムが構築されました。
完成度が高まったシステムは、コピーが容易になり、Gnobleのような新たな塾が勢力を伸ばしたり、今後また別の、「サピックス・インスパイア」の塾が誕生する可能性も否めません。かつて盛んに起きた「内部分裂・内部対立」を要因とするものではなく、最近は「起業家精神」をもった講師たちが、より自分たちの理念の実現のために新しい塾を設立する例も増えているようです。
塾業界は、会社規模としては中小企業がほとんどですが、「大企業病」ということばがあるように、会社の規模が大きくなると、ほころびが出やすいものです。いまの「大手四塾」はいまのもの、今後も続くとは限りません。
東京大学の入試では、都立日比谷高校や神奈川県立横浜翠嵐高校が躍進し、開成高校の人気が下がるなど、人気校に変化が生じれば、その対策を行う塾の勢力図が大きく変わるのは当然のことです。
特にいま低学年の方が中学受験を迎える頃、合格実績を出す塾や人気の塾が変わっていることは大いに有り得ることなのです。
いま現在の合格実績だけに目を向けるのではなく、数年後、子供が希望する学校に「合格する塾」を選ぶことがとても大切になっています。
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