塾選びの季節到来
大学受験では、初めての大学入試共通テストが実施されている一方、関西や首都圏では、中学入試が始まりました。
2月1日には、都内の中学入試が本番を迎え、その後、高校入試のシーズンが訪れます。
中学受験は2月、高校受験では3月に新年度スタートするのが一般的で、高校受験でも2月ごろから新中学1年生向けの特別講座も開かれます。
サピックスだけどサピックスじゃない?
いまは「サピックス・代ゼミグループ」に属するサピックス小学部と中学部。
ともに法人としては、「日本入試センター」という代ゼミのグループ企業に属していますが、まったく違う塾だと思っておいたほうが無難です。
1989年に誕生したサピックス小学部とサピックス中学部
サピックス小学部と中学部が誕生したのは、ともに平成元年・1989年です。
TAP進学教室の教師たちが、経営陣と対立して設立したもので、独立の際、小学部と中学部は別会社を設立することになり、「株式会社ジーニアス研究所(のちにジーニアスエディケーション)」、「株式会社サピエンス研究所」がサピックス中学部を運営することになります。
サピックス小学部は、算数を担当する霜山氏(のちに奥田氏)が社長に、算数担当の田村氏は長らく代表として、「開成といえばサピックス」という地位を築き上げました。
一方、中学部は、小田・中山・高橋の3氏が中心となって設立したものです。
ちなみに、「SAPIX」という名前、ホームページなどでは、
などと記されていますが、この、ScienceとかArtという意味は、実はあとからつけられたものです。
中学部のもとの会社名が「サピエンス研究所」だったように、サピエンス=考える人を育成しようという思いを込めてつけられた名前です。ちなみに「X」は響きがいいからで、特に意味があるわけではないんだそうです(とある設立者談)。きっといまのサピックスの教師たちも、名前をつけた当時のことなんて知らないと思いますが…。
勝敗が分かれた2000年代
サピックスは、小学部も中学部も設立当初からしばらくは、TAP時代からの大量の教材を売りに難関校受験において不動の地位を築いてきました。
小学部は、四谷大塚や日能研といった既存の大手塾を上回る実績をつくる一方、もともと大きな塾市場がない中学部では、早稲田アカデミーた台頭するようになると、早稲アカの多教室展開で生徒を奪われ、早慶付属高の合格実績で追い抜かれると、もともと得意としていた開成や国立大学付属高校の実績でも遅れをとることとなり、あっという間に勢いを失ってしまいました。
身売り同然のサピックス中学部の代ゼミグループ入り
2000年代は塾業界でのM&Aが大きく進んだ時代です。
2006年 東進ハイスクール経営のナガセが四谷大塚を子会社化
2007年 東大受験指導専門塾「鉄緑会」がベネッセ傘下に
2009年 代ゼミグループの日本入試センターがサピエンス研究所の全株式取得
2010年 日本入試センターがジーニアスエデュケーションの全株式取得(SAPIX・代ゼミグループの誕生)
2011年 サピエンス研究所がジーニアスエデュケーションを吸収合併
→その後日本入試センターがサピエンス研究所を吸収合併
少子化が進む中、大企業が、有名進学塾を傘下に入れ、囲い込みを進めた形です。
特にサピックス中学部にとっては代ゼミグループ入りは身売り同然の状態でした。
それまで売りにしていた合格実績で早稲アカに抜かれ、もともと少ない高校入試の市場を早稲アカに奪われ続けたあげく、大学受験部門「NEXUS(ネクサス)」をめぐる経営陣の分裂で、長らく専務を務め、NEXUSを率いてきた中山氏が独立します。
英語教師としてのカリスマ性を売りにNEXUSの顔だった中山氏が、グノーブルを設立したのに対し、残された小田・高橋氏に残された手は少なく、経営陣の高齢化もあいまり、代ゼミグループ入りは濡れ手に粟の状態でした。
ちなみに高橋氏は、代ゼミグループ化後、職を辞し、いまはサピックス中学部時代の仲間たちと、横浜市のたまプラーザで「BLEKK」という塾をほそぼそと経営しています。
ちなみに、代ゼミグループ化する前、サピックス小学部の機関誌「さぴあ」には、「Y-SAPIX(NEXUSの後継)」ではなく、中山氏が設立したグノーブルの広告がこの時期掲載されていたこともありました。
もともとサピックス中学部と小学部は「サピックス」という同じのれんを使うだけで資本関係はない別個の塾であり、小学部の経営陣とのパイプは、主に中山氏が有していたため、中山氏が抜けたサピックスより、グノーブルのほうを進められるかたちとなったわけです。
ちなみに、サピックス小学部を長らく率いた田村氏は、表には出てきていませんが、グノーブルの経営会社「グノーブリンク」の副社長をつとめ、サピックス小学部教務本部長を務めた眞田氏がグノーブル小学部を設立しました。
いまや、サピックス小学部と近い存在にあるのは、サピックス中学部ではなく、グノーブルといってよいでしょう。
サピックス中学部は「サピックス」ではない
これまで述べてきたような経緯からも、サピックス中学部は、小学部とはまったく異なる塾です。
残念ながら中学入試の結果が望み通りでなかった受験生のなかには、改めて高校受験を目指す子どもたちもいることでしょう。
ただ、「サピックスに慣れているから」とサピックス中学部を選ぶのは危険です。
まず実績。いまや高校受験界において、早稲アカに次ぐ2番手の存在です。
そして、これは小学部と共通しているのですが、サピックス中学部は難関私立校受験のノウハウはそれなりに蓄積があるものの、中堅校や公立高校など、それ以外は得意としていないというかあまり力を入れてきませんでした。
もともとサピックスは「地頭がいい生徒」を集めて、大量の課題を出して、受験テクニックを身に着けさせて合格実績を出してきた塾です。サピックスに通ったらできるようになる、なんてことは期待してはいけません。職員室では、成績の良い生徒が入室してきたたびに、合格実績をカウントして、皮算用をしてたものです。
一昔前でしたら、男子なら開成・筑駒・学芸あたりを目指すというのが上位生徒の定番でしたが、いまは開成より日比谷高校など公立トップ校を目指す生徒も多いのが現状で、私立特有の難解な問題の対策に特化すればいいというのではありません。内申対策や、早慶高校の受験など、あらゆる可能性を視野に入れると、幅広に合格実績を出している塾に入るのが得策なのです。
「考える眼、感じる心を見つめます」
これは、かつてのサピックスのキャッチフレーズです。受験勉強はとかく覚えることと繰り返されることが強調されますが、多くの難関校はそれだけではパスできません。そういう意味で、思考力を育もうというサピックスの理念は大切です。ただ、小学部はキャッチフレーズとは逆に、ある意味詰め込み教育を展開した一方で、中学部は理念に縛られすぎて、「傾向と対策」という、あらゆる試験勉強の基本を放置してきてしまいました。
サピックス小学部がそうであるように、関東圏の子どもたちにとって、「塾」というのは今後の人生においてそれなりに意味を有する存在です。東大生コミュニティより開成コミュニティのほうが強く、サピックス小学部コミュニティも、いまや無視できない存在となっています。
21世紀の現代社会において、かつての知識偏重型の教育を改めていく必要があるのは言うまでもありませんが、進学塾を選ぶ際に重視すべきなのは、「志望校に入れてくれるかどうか」です。
なんとなく、雰囲気ではなく、今後、子供がどういった進路に進みたいのか、10年後、20年後を見据えた塾選びが大切です。
コメント